あなたは医療関係者ですか?

認知症と歯科診療

    
\ この記事を共有 /
認知症と歯科診療

~歯科医師は認知症患者さんとどう向き合うか~

 高齢社会の進展とともに認知症の人は増加の一途をたどり、2012年で65歳以上の高齢者の約7人に1人だったのが、2025年には約5人に1人になると推定されている。実際、認知症の患者さんの来院が増えていると実感している歯科医師も多いのではないだろうか。今後もますます増えることが予測される認知症の患者さんに対し、歯科医師はどのように対応していけばよいのだろうか。多くの認知症患者さんを診てきた東京都健康長寿医療センター歯科口腔外科部長・研究所研究部長の平野浩彦先生にお話を伺った。

今こそ認知症の人との付き合い方を真剣に考える時

 令和5(2023)年6月14日、認知症に関わっている人たちにとって長年の念願だった法律が成立した。「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」(通称:認知症基本法)である。この法律に至るまでに、国はいくつかの取り組みを行った。

 歯科に関することが具体的に初めて国の施策に盛り込まれたのは平成27(2015)年にできた認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)である。認知症の人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で自分らしく暮らすことができる社会の実現を目指すとした新オレンジプランでは、7つの柱が掲げられた。その2番目に「認知症の容態に応じた適時・適切な医療・介護等の提供」があり、その中に「歯科医師・薬剤師の認知症対応力向上」が含まれた。これを受け、都道府県の歯科医師会は研修会の開催を始めた。ちなみに、この研修の受講は平成28年度診療報酬改定で新設された「かかりつけ歯科医機能強化型歯科診療所(か強診)」の設備基準の一つとなった。

 新オレンジプランを引き継ぐかたちで令和元(2019)年「認知症施策推進大綱」が打ち出された。そこでは、「共生」と「予防」が車の両輪として大きく謳われた。また、この大綱の中でも、新オレンジプランを受けた歯科医師の役割が明記された(図1)

 こうした変遷を経て誕生したのが冒頭で紹介した「認知症基本法」である。この法律の特筆すべき点は、国民の責務として「共生社会実現への寄与」が盛り込まれたことだ。

 「共生」とは、認知症の人が尊厳と希望を持って認知症とともに生きる、また、認知症があってもなくても同じ社会でともに生きるという意味だ(「認知症施策推進大綱」より)。

 平野先生は、「歯科医師も共生社会実現に寄与しなければなりません。今こそ認知症の人とどのように付き合うかを真剣に考える時です」と強調する。同時に、認知症の人にたくさん残歯があるとケアの邪魔になるといった意見が医療・介護の現場で聞こえてくることに危惧を抱く。

 65歳以上の認知症の人は年々増え続けているが、同様に増えているのが8020達成者だ。「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」を目標に掲げた「8020運動」がスタートしたのは平成元(1989)年で、当時は80歳で20本以上自分の歯を保っている人の割合は1割にも満たなかった。その後、歯科医師が患者の歯を残す努力を続けたことや、国民自身の歯の健康に対する意識の高まりなどにより、8020達成者は増え続け、直近の調査結果では、51.6%と2人に1人が20本以上の歯を有していることがわかった(図2)

 「私たちが推進してきた8020運動に応えてくれた国民に対して、80歳以上で罹患率の高まる認知症を歯科治療が出来ない理由とするのは如何なものか」と平野先生は語気を強める。

図1
図2

認知症を理解し、認知症に対するスティグマを小さくする

 法整備が整った今、歯科医師に求められているのは何か。平野先生は、「認知症に対するスティグマ(偏見)を小さくすること。その第一歩は認知症という病気を理解すること」と言い切る。

 認知症の人は、認知機能は低下していくが、人としてさまざまな感情や心の動きは最期まで失わない。「そうした認知症の人の心的世界を知り、それに寄り添うことが大切」と平野先生は語る。

 認知症の初期症状の一つに見当識障害がある。見当識とは、今日は何月何日であるか、今自分がいる場所はどこなのか、誰と話をしているかなどを正確に認識できなくなることをいう。もし、私たちが全く見知らぬ場所に連れて行かれ、一度も会ったことのない人が目の前にいたら不安に駆られるはずだ。認知症の人も全く同じ。認知症の患者さんが診療室に入ってきても、すぐに帰ろうとすることがよくあるが、その背景には見当識障害から来る不安があると考えられる。そのときに、「帰ってはいけません」などと叱りつけたり、抑えつけたりしても、患者さんの不安や恐怖をかきたてるばかりだ。望ましい対応とはいえない。

 平野先生は、かつて受診当初は平野先生の顔を見た途端に逃げ出していた認知症患者さんを受け持ったことがある。「根気強く声掛けをし、6度目ぐらいにようやく治療ができました。大変ではあるけれど、私を受け入れてくれたことがとても嬉しかったです」と振り返る。ただし、受け入れた後もその患者さんは、「一緒に遊ぼう」「親孝行をしに行かなくちゃ」などと言い訳(取り繕い)をして容易に口を開こうとはしなかった。それでも平野先生は「この間入れ歯を入れたんですよ。お口の中に入っていますよ」「出し入れが難しいから僕がお手伝いしますね」などと何度も優しく語りかけ、患者さんの不安感や恐怖心を和らげることに努めた(図3)

 認知症の原因疾患にはアルツハイマー型認知症や脳血管性認知症などさまざまあり、そのほとんどが進行していく。先の患者さんも、数年後にはADL(日常生活動作)が低下し、言葉が出ず、傾眠傾向が強くなった。平野先生は「〇〇さん、ちょっと起きてください。お口の中はどうですか」などと対応を変えていった。「認知症患者さんのその時々の容態に合わせて対応することも大切」と平野先生はアドバイスする。

図3

医療者から家族への声掛けが家族の心を癒す

 現在、認知症を抱える人として全体を受け入れるパーソンセンタードケアをはじめ、タクティールケアやユマニチュード、バリデーションなど、認知症の人と良好なコミュニケーションを構築するためのさまざまなケアメソッドが開発されている。平野先生は歯科医師や歯科衛生士にこうしたメソッドを学ぶことを勧める。

 平野先生らのグループは、歯科医療従事者にメソッドを学んでもらい、認知症で口腔衛生管理受容が困難な人の口腔状況をOHAT(Oral Health Assessment Tool)で研修前後の比較をしたところ、研修後は明らかに口腔状態が改善されていた。この理由について平野先生は「メソッドを学ぶことで認知症患者さんと歯科医療従事者の間に信頼関係が構築されたからではないか」と推測する。

 平野先生は、講演会などでいつも伝える言葉がある。認知症の人と家族の会の髙見国生元代表理事(当時)が医師に向けた言葉だ。

 「たとえ認知症の専門家ではなくても、命の専門家として素人の家族に向き合っていただいて、『私は専門家ではないからよくわからないけれども、一緒に認知症に向かっていきましょう』とおっしゃっていただけたら、それだけで家族はすごく勇気づけられるし、力を得ることになると思います」

 平野先生は、「口の専門家である歯科医師も医療人です。ならば、歯科医師も『私は認知症の専門家ではないので具体的にできることはないかもしれませんが、何かあったら相談に乗りますから、遠慮せずに言ってくださいね』と家族に声をかけてほしい。それだけで、家族はどれだけ心が休まるか計り知れません」と話す。

 なお、令和元(2019)年に『認知症の人の歯科治療ガイドライン』が日本老年歯科医学会より発刊された。認知症患者さんのアセスメントや口腔管理、歯科補綴治療などが丁寧に説明されている。ぜひ一読をお勧めする。

東京都健康長寿医療センター 歯科口腔外科
(東京都板橋区栄町35番2号)

オサダの高齢者歯科向けヒューマニティーシリーズはこちらからご覧いただけます。

Copyright©ZOOM UP|OSADA(オサダ),2024All Rights Reserved.