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これまでの土台に小児歯科の専門性をプラス ゼロ歳児から口の中の健康を守る

  
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これまでの土台に小児歯科の専門性をプラス ゼロ歳児から口の中の健康を守る

佐賀県伊万里市南波多町井手野2764-1 松尾歯科こども歯科クリニック

松尾康平先生/松尾聡先生

父や兄とは異なる専門性を持つ

 佐賀県伊万里市といえば伊万里焼が有名だが、果物の産地でもある。ナシ畑やブドウ畑が点在する市郊外の幹線道路沿いにひときわ目を引く看板が立っている。真っ青な地色に、大小の2つの歯が並ぶかわいいイラストとともに「松尾歯科こども歯科クリニック」と白色で書かれている。実は、以前の看板には「こども歯科クリニック」の文字はなかった。この名になったのは2022年。松尾歯科に心強い味方が加わったのがきっかけだった。

▲「松尾歯科子ども歯科クリニック」の看板

 元々、松尾歯科は松尾 優院長が1987年に開院した。その後、佐賀大学口腔外科学講座や歯科クリニックなどで口腔外科の経験を積んだ次男の康平先生が帰郷し、副院長としてお父さまとともに診療に当たるようになった。

 父や兄と同じ歯科医療の道に進んだ三男の聡先生は、何を専門にしようかとお父さまに相談した。「兄が口腔外科や一般歯科を行っているので、別のものがいいだろうということになりました。矯正や障がい者歯科も考えたのですが、最終的に小児歯科に決めました。伊万里や唐津には小児歯科を専門にしている先生が少ないので、将来、地元に帰ってきたときに強みになるのではというのがその理由です」。こう話す聡先生は福岡歯科大学卒業後、同大学院で小児歯科の専門性を高めたのち、同大学成育小児歯科学分野の医局員として3年間勤務した。その間、小児歯科のクリニックなどで非常勤勤務し、臨床経験を積んでいった。

 康平先生が帰郷した年齢と同じ32歳のとき、聡先生も伊万里に戻ることを決めた。

クリニック名を変更し、小児歯科診療室を増築

 当時の聡先生について、康平先生はこう話す。「弟は最初、伊万里の街中での小児歯科クリニックの開業を考えていたようです。当クリニックにはお子さんの患者さんも来られていて、平日は私が、土曜日は弟が戻って診てくれていました。弟は専門だけあって小児歯科の診療レベルが高く、私にはとても真似できないと思っていました。ですから、『もしよかったら私たちと一緒にやらないか』と誘ったのです」。

 これに対して聡先生は「大学の先輩たちを見ていると、一から開業するのは大変そうでした。松尾歯科なら父や兄が頑張ってくれていたお陰で、地域の人たちからの信頼は厚い。その土台の上に自分が学んできたことを活かせたら、松尾歯科はこれまで以上に地域に貢献できるのではないかと思い、兄の申し出を快諾しました」と話す。

 聡先生が戻ってくるのを受けて、康平先生たちは2つの準備を行った。一つは、「松尾歯科」から「松尾歯科こども歯科クリニック」への医院名の変更だ。「伊万里市内には小児歯科を掲げた歯科医院は1軒もなかったので、 小児歯科を診られることをはっきりと打ち出したほうが、認知度が上がると考えたのです。名称の変更については、父もそのほうがいいと賛成してくれました」と康平先生はその意図を語る。また、伊万里市のゴミ袋に新しいクリニック名を掲載するなど、少しでも多くの人々がクリニック名を目にする機会をつくった。

 もう一つの準備は、駐車場の一部をなくして増築すること。待合室を広くし、トイレを男女別にして、女性用トイレにはおむつ台を設置した。また、待合室の一角にキッズコーナーを設け、その先に小児歯科専用の診療室を新たにつくった。小児歯科診療室にはオープンスタイルとガラス張りの個室を取り入れた。個室は治療や、大声で泣く小児患者さんの診療用とした。

 こうした準備を整えて聡先生による小児歯科の診療がスタートした。

▲女性用トイレ入り口
▲キッズコーナー

▲小児歯科の診療室(手前:オープンスペース 奥:クローズスペース)
▲松尾歯科こども歯科クリニックにて作成した保護者への注意事項

小児患者さんもその親世代の患者さんも増加

 聡先生が同クリニックで小児科歯科を始めて約2年。以前から来院していた患者さんが自分の子どもやお孫さんを連れてきたり、ゼロ歳児や歯科治療を怖がる小児たちに優しく接しながら診てもらえるとの口コミが保護者の間で広がったりして、小児患者さんは順調に増えつづけている。また、小児の診療にはどうしても時間やマンパワーがかかるため、他の歯科クリニックの先生が聡先生のもとに小児患者さんを送ってくるケースも出てきている。

 「最善の治療は予防治療」と考える聡先生が力を入れているのが、小児本人だけでなく保護者への子どもの仕上げ磨きの仕方や間食などの食生活の指導だ。定期健診時には、必ず染め出し液を用いて歯垢がどれくらい残っているかを本人や保護者に見せてから歯磨きの練習を行っている。

 康平先生にとっても、嬉しい効果が出ている。「弟に一緒にやらないかと誘ったのには、実は下心がありました。小児患者さんが来れば、その保護者もうちの患者さんになってくれるのではないかと期待したのです(笑)」。その狙いは見事的中し、院長や康平先生が担当する一般歯科では40代、50代の患者さんが増加。それまでの高齢者中心だった患者層に明らかな変化が現れている。

声掛けが小児の治療への恐怖心を和らげる

 康平先生や聡先生が、スタッフに常に伝えているのが声掛けの大切さだ。

 「小児歯科の場合は、特にお子さんが怖がらないようにすることが大切です。スタッフたちは、最初の頃こそ私のやり方を参考にしていましたが、今はスタッフ自身の言葉で上手に声かけしてくれています。また、ユニットの無影灯に子どもたちに人気の人形をぶら下げたり、手づくりの飾りを診療室に飾るなど、子どもたちが喜ぶ工夫をいろいろしてくれています」と聡先生が話せば、康平先生も「例えば『1週間後に予約をとっていますが、痛みがあったらすぐに連絡くださいね』などと、一言添えるようにとスタッフには伝えています」と語る。

 このように息の合ったお二人だが、兄弟で一緒に仕事をすると、身内ゆえの遠慮のなさで喧嘩が絶えないといった話を時々耳にするが、お二人の仲の良さはどこからくるのだろうか。

 「私は中学から地元を離れ、遠くの中高一貫校に行きました。そこでは寮生活だったので、弟と接する機会があまりありませんでした。その後、私と弟が入った歯科大学がたまたま同じで、しかも私が浪人して弟が現役で入学したため、学年も一緒。ですから弟は久しぶりに会った幼馴染みたいな感じでした。その感覚が今も続いています」との康平先生の言葉に聡先生はうなずきながら「私も似た感覚です。それに、兄と私の専門が同じだったら、『自分のやり方のほうがいい』などと意見の食い違いが生じるかもしれませんが、幸い異なる分野なので意見を言い合うことはありません。それもよかったかなと思います」と述べる。

 院内のふわりとした温かさは、木がふんだんに使われている内装の効果もあるだろうが、それ以上にお二人が互いに認め合う姿勢がつくりだしているのだろう。

今後は障がい者歯科にも注力していきたい

 聡先生が小児歯科を始めるにあたって導入したユニットはオサダペディシアだ。ショールームでペディシアを初めて見たときの印象を「小児のことをよく考えてつくられたユニットだと思いました」と聡先生は言う。「導入の一番の決め手となったのはリクライニングができること。完全フラットよりリクライニングできたほうが、型取りなどをしやすいのです。また、カートタイプテーブルが大きい点も使いやすいと思いました」。

 一般歯科で使っているのもオサダのユニットだ。「オサダのユニットはとにかく丈夫で長持ちします。それに、ちょっとしたトラブルでもすぐに対応してくれる。大いに助かっています」と康平先生からも高い評価をいただいた。

 聡先生がこれから力を入れようとしているのが障がい者歯科だ。佐賀県歯科医師会では二次医療機関での障がい者の受け入れを推し進めようとしている。「大学時代、全身麻酔での障がい者歯科治療も多く行っていました。今、二次医療機関への治療派遣医にならないかとの話をいただいているので喜んで引き受けるつもりです。それにとどまらず、将来、障がい者の在宅医療をできたらいいなと思っています」。

 一方、康平先生も将来を見据えて、「今は父が診療するのは午前中だけ。その父もいつかは引退を迎えるでしょう。そのときは外から先生に来てもらおうかと考えています」と話す。

 松尾歯科の優院長と康平先生、そしてこども歯科クリニックの聡先生。これからも3人で力を合わせ地域の人々の口の健康を守り続けるに違いない。

▲増築した小児歯科診療エリア
▲受付

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