沖縄の矯正歯科のフロンティア。新築移転し、新たな歴史を刻みはじめる
沖縄県那覇市泊1-10-7 渡口矯正歯科医院
沖縄初の矯正歯科医院を開業。公衆衛生にも熱心に取り組む
沖縄が本土復帰して間もない1974年7月、那覇市に沖縄初となる矯正歯科専門の歯科医院が開業した。渡口進一先生が院長を務める渡口矯正歯科医院だ。渡口院長の父は医師だったが、近くで開業されていた小那覇全孝氏に憧れ、歯科医師になる道を選んだ。
小那覇氏は嘉手納村(現嘉手納町)でただ1人の歯科医師として多忙な日々を送る一方、独自の漫談で戦禍の傷がいえない人々に笑いと生きる力を与え、沖縄のチャップリンとも呼ばれた人物だ。小那覇氏の歯科医師としての学びは日本歯科大学の前身である日本歯科医学専門学校で修められたことから、渡口院長は小那覇氏と同じ日本歯科大学に進んだ。
卒業を前にして渡口院長は改めて自問した。どんな歯科医師になったらいいのだろうか。そして出した答えは「ほかの人があまりやっていない矯正歯科を専門にしよう」。
その頃、矯正歯科で開業している歯科医師は全国でわずか16人ほど。沖縄はゼロ人、九州でも1人しかいなかった。
渡口院長は卒業後、同大学矯正学教室に入局し、当時、日本の矯正歯科学の第一人者であった榎恵教授のもとで研鑽を積んだ。
4年ほど経った頃、渡口院長は沖縄に戻り、矯正歯科医院を開業することを決めた。そのことを教授や友人たちに告げると、「矯正歯科を沖縄で始めるには時代がまだ早すぎる」と皆がこぞって反対した。しかし、渡口院長の決意は揺れることはなかった。小那覇氏が嘉手納村唯一の歯科医師であったように、渡口院長は沖縄県唯一の矯正歯科の専門医として地域に貢献したかったからだ。
帰郷し開業した渡口院長が診療とともに、熱心に取り組んだのが公衆衛生だった。そのきっかけになったエピソードがある。渡口院長が矯正歯科治療中の子どもに「プールで泳げるようになったかい?」と訊ねたところ、思いもよらない返事が戻ってきた。
「学校から、プールで泳ぐのを禁止されているというのです。それまで学校の先生方は矯正装置を見たことがなかったので、矯正装置をつけている子どもを見ると、変な病気にかかっていると思っていたようなのです」と渡口院長はそのときの驚きを語る。
渡口院長は沖縄県歯科医師会の公衆衛生、学校歯科、衛生士学校の理事職に就くことで、養護教諭や歯科衛生士たちの講習会に出向いては矯正歯科の大切さについて何十回と講演。また矯正歯科医として、手作りした絵本や人形劇を持って100校以上の小中学校をまわった。
「15年近く孤軍奮闘しました。でも、それは決して無駄ではありませんでした。今、本土でも沖縄でも、矯正歯科に取り組んでいる先生がたくさんいます。言い換えれば、それだけ人々の矯正歯科に対する意識が向上してきたということ。本当に嬉しく思います」と渡口院長は静かな口調で話す。
「矯正歯科治療はオープンスタイルが基本」を受け継ぐ
そんな渡口院長に10年ほど前、強力な協力者が現れた。日本矯正歯科学会の認定医でもある末娘の沙織先生が渡口先生と一緒に診療するようになったのだ。
「子どもの頃は、人形劇などをしている父を見て、楽しそうだなと思っていました。しかし、診療しながら公衆衛生にも熱心に取り組むことがどれほど大変か、自分が臨床の現場に立って初めてわかりました。それを何十年間も続けてきた父を心から尊敬しています」と沙織先生は言う。
渡口院長は沙織先生に全幅の信頼を寄せている。「私は今80歳。最近は娘に診療のことは全て任せています」。
2021年12月、渡口矯正歯科医院は同じ敷地内に新築移転した。これまで小さな改装を一度行ったが、さすがに建物の老朽化が目立ってきた。沙織先生の子育ても一段落したことから、思い切って本格的に建て直すことにしたのだ。
沙織先生は新しい建物をこれまでと全く異なる雰囲気にはしたくなかった。「以前、当医院で矯正歯科治療をした方がお子さんを連れて来院するケースが非常に多いのです。これまでどおりの来院しやすい、馴染みのある歯科医院にしたいと思いました」(沙織先生)
最近の診療室は個室スタイルが多くなっているが、新しい医院は旧医院と同じオープンスタイルにしたのもこだわりの一つだ。「矯正歯科という単一の治療を行う診療室はワンルーム形式のオープンスタイルでの座位診療が基本」という渡口院長の考えが受け継がれたのだ。
実際、患者さんたちからは「以前の雰囲気が保たれたまま、きれいな医院になりましたね」と好評だという。
オサダのユニットはスマート。充実したメンテナンスにも満足
新しい渡口矯正歯科医院はホワイトを基調にブラウンをアクセントに用いて、落ち着きのある空間となっている。待合室には一人掛けイスと長イスが整然と並び、その先にはキッズコーナーが設けられている。
診療室は窓に向かって5台のユニットが並んでいる。これら全て、今回の新築移転を機に入れ替えたオサダスマイリーイニシオプラスだ。
「開業時からずっとユニットはオサダ製です。矯正歯科の場合、患者さんの多くは子どもたちなので、子どもたちが怖がらずに座ってくれるユニットが適しています。その点、オサダのユニットは親しみやすくスマート。そこがとても気に入っています」と渡口院長。
一方、沙織先生にとって一番の決め手となったのはオサダのユニットの性能の良さと担当者のフットワークの軽さだ。「以前のユニットは修理しながらも長い間使い続けることができました。それほどオサダさんのユニットの性能は素晴らしい。しかも、何かあると担当者がすぐに飛んできて対応してくれます。ですから、迷いは一切なく、私も最初からオサダのユニットに決めていました」。
また、渡口先生はこうも言う。「私たち歯科医の仕事の中で、ユニットはとても重要です。私はいつも若い人たちに言っています。『歯科ユニットは王様の腰掛だ』と。だって、こんな高額な腰掛はほかにはないですから。それだけに、私たちはユニットを丁寧に扱わなくてはいけません」。
長期にわたる矯正治療だからこそブラッシング指導やカウンセリングを重視
ユニットと反対側には2つの洗口台が並ぶブラッシングコーナーがある。
今でこそ、歯科医院にブラッシングコーナーがあるのは珍しくないが、渡口院長が開業した当時の沖縄にはブラッシングコーナーを設けた歯科医院は1軒もなかった。
矯正歯科治療中の患者さんの口の中は汚れやすく、むし歯や歯周病になるリスクが高い。それを防ぐには、歯科衛生士が患者さんに正しいブラッシング法を指導したり、普段のブラッシングのしかたをチェックしたりすることが欠かせない。こう考える渡口院長は旧医院に、これも沖縄初となるブラッシングコーナーを設けた。
沙織先生もまたブラッシングを重視。「当医院では1時間ほどかけて丁寧にブラッシング指導を行っています」。
ブラッシングコーナーの隣には個室のカウンセリングルームがある。
「矯正の治療期間は何年にも及びます。治療の途中で、思っていたことと違うなどということが起こらないように、1時間かけてカウンセリングします。気になっているところや矯正治療に対する不安、疑問などをお聞きし、その方に合った治療の流れや料金などについて説明しています」(沙織先生)
沙織先生がスタッフたちに常に伝えているのがコミュニケーションの大切さだ。正しく矯正装置を使ってもらえるように装着の仕方の練習を患者さんと一緒に行ったり、矯正治療中の患者さんの悩みにもきちんと対応したりと、矯正治療における歯科衛生士の役割は非常に大きい。「患者さんとしっかりとコミュニケーションをとって信頼関係を築くことで、患者さんは頑張って治療を続けようという気持ちになります」と沙織先生は強調する。
渡口院長は、「新しい建物になり、今、娘はとても頑張っています。頼もしく思うと同時に、少し張り切りすぎている感があるので、体を壊すのではないかと心配です」と父としての心情を語る。この言葉に、「私も父の健康が一番心配です。いつまでも元気で、もっといろいろなことを教えてほしい」と沙織先生。
沖縄の矯正歯科の歴史を刻んできた渡口院長。その精神を受け継いでいる沙織先生。お二人の矯正歯科への熱い思いは、新しい建物になった渡口矯正歯科医院で輝きをいっそう増している。
【渡口矯正歯科医院 医院レイアウト】
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