【ZOOM UP回顧録】年末年始特集
今年も残すところわずかとなりました。
皆様、2022年はどのような1年でしたか?
2022年は、オサダのZOOM UPの創刊号が発行されてからちょうど50年の節目の年でした。
そんな記念すべき年に、ZOOM UPは冊子での発行からWEB配信の形にリニューアルいたしました。
50年もの間、歯科医療の現場で従事される皆様にお読みいただけたこと、また多くの方に出演いただきご協力いただいたこと、皆様に支えていただいたことに心から感謝いたします。
今回は、2022年最後の更新ということで、1980年のZOOM UP(第30号)より、現在公開しているアーカイブの抜粋には収まらなかった「新春行事特集」をご紹介させていただきます。
当時の記事の中から、現在でも実践できるものや興味深いものをピックアップいたしました。
新年を迎えるにあたり、ご家族の行事や患者さまとのコミュニケーションの糸口、医院でのイベントの参考に、ぜひお気軽にお読みください。
新春の行事あれこれ 歯固から藪入りまで
(1980年発行 ZOOM UP第30号)
人それぞれに、新しい年には新しい決意と希望があるものだが、それらを、効果的に意義づけるのが、新年を迎えて行われる各種の行事ではないだろうか。
日本ほど、新年の行事が多様に見られる国は少ないという。松飾り、雑煮に始まり7日、15日、そして2月の節分まで、1年のうちで、1月ほど決まりごとの多い月もない。毎年、なにげなく習慣として行っている行事にも、それぞれに由来と意義があるものだ。
一般によく知られているものは別として、日本の各地に残る新春の行事のなかから、目ぼしいもの、変わったもののいくつかを、拾い出してみよう。
■ 歯固(はがため):1月1日~3日
<ZOOM UP>にふさわしく、まず<歯固> の儀式。歯は齢に通じ、“よはひ”つまり年齢のこと。年が改まり、年齢を1つ重ねることであるともされるが、これは、あとからつけた理屈。元来は、文字どおり、歯の根を強固に、という願いである。
1月3日に、健康を願って、なによりも先に歯を丈夫にしよう、とは、歯科関係者にとっては嬉しい行事である。
さて、<歯固>の日だが、 古く中国では、元日に“膠牙の錫”(こうがのとう)といって堅い飴を食べる風習があった。わが国でも、1月20日を鏡開きとして、堅くなった鏡餅を食べるが、大分県地方では、この日を特に<歯固の日>と呼ぶ風習があったとか。また、餅を乾燥させ、6月の夏至の日に<歯固>といって食べる土地もある。文字どおり歯の丈夫さを祈る風習だ。
<歯固>の行事は、平安時代にはわが国でもさかんに行われ、朝廷では、鏡餅、大根、 押し鮎、猪肉などを高台つきの皿に盛って神前にそなえたという。戦国以降の武家では、鏡餅、熨斗(のし)、搗栗(かちぐり)、昆布などを神に供するとともに、食した。いずれも歯ごたえのきつい食物であり、同時に、いざ戦いとなれば、陣中の保存食として常用する食物である。歯が丈夫でなければ戦に勝てぬ、という武士の心得だったかもしれない。
そうでしょう、その頃、歯が痛んだら、今のような医療技術があるわけじゃなし、頬をおさえて転々するしかなかったでしょう。
■ 人日(じんじつ):1月7日
1月7日を<人日>と呼び、 5節句(1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日)の最初の日とされる。 “七種(ななくさ)の節会(せちえ)”ともいう。
中国で、この日に7種類の若菜を食べると無病でいられるという俗言があった。これが“七草粥”のいわれだ。現在では、七草といえば、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベ、ホトケノザ、スズナ、スズシロとされているが、南北朝の頃には、セリ、ゴボウ、ヒジキなどが入っていた。栗やゴマ、アズキ、柿などを入れた時代もある。
■ 7日爪(七草爪):1月7日
関東地方の風習だが、七草を浸した水に爪をしめして切ると、その年は風邪をひかないといい、この日に爪を切る。東北地方は1日早く<6日爪>である。もちろん、どちらがどうということはない。正月も1週間もたてば、そろそろ身体をきちんとしておこう、というところかもしれない。
年末に切ったきりの爪なら、そろそろ切りどきであろう。
■ 小正月・女正月:1月15日
1月15日は、小正月または女正月と呼ばれ、古くは元日よりも15日を祝う風習さえあったという。朝食には、白粥に小豆を入れた小豆粥を食べる。万病を避ける祈りである。
小正月は、元来、太陰暦でいう新年最初の満月ということから、さまざまな祝い事が行われたものである。とくに、農産に関する行事が多い。小正月、女正月のほかにも、地方によって呼び名はいろいろあり、若年(長野県、鹿児島県)、もちい(長野、愛知)、望年(宮崎、熊本)、若正月(石川)、中正月(和歌山)、二番正月(岐阜)など。
■ 藪入り:1月16日
いまでは中小企業でも“週休”が常識だが、 江戸時代から昭和の戦前まで、 小僧や丁稚の休暇は年に2回、1月と7月の16日と決まっていた。これが藪入りである。この日だけは住み込みのお店から暇をもらい、親もとへ帰ることが出来た。
縞の綿入れ、 千種色のもも引きという姿。旦那から300文、おかみさんから200文、それに給金から300文を持ち、父母へのみやげ。両親にあいさつし、墓まいりなどがすむと、夕刻まで遊ぶことができるから、浅草などの盛り場は大にぎわいであった。
<藪入りの何ンにすねたか六あみだ>という川柳がある。せっかくの藪入りの日に、盛り場へも行かず、婆の連に加わって六阿弥陀詣でをしている丁稚の不思議…。
藪入りとなると、丁稚どもは14日に髪を結い、15日に湯に入って16日の朝を待ったという。
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*表現はオリジナルのまま掲載しております。一部読みづらい部分がございますがご了承ください。
参考文献
岸井良衛<江戸の日暦>実業之日本社/菊池貴一郎ほか<江戸風俗往来>平凡社/綿谷雪<江戸名所100選>秋田書店/鈴木棠三<日本年中行事>角川書店/山路閑古<古川柳>岩波書店
いかがでしたでしょうか。
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