“俺様院長”が”まかせるオバケ”に。人口減少地域で実現した、リコール率80%超の組織づくり
5年間で人口が約5700人減少し、高齢化率が32.5%に達する京都府舞鶴市。この地に、リコール率が80%を超え、月間1300人がメンテナンスのために来院する医院がある。森歯科クリニックだ。増患の一途をたどり、月2回の土曜診療では新患受付をストップせざるをえないほどだという。
院長の森昭先生は、人材育成や医院経営の著書も多数あるが、最初はトップダウンの“俺様院長”で、スタッフはいつも委縮していたという。どのように医院改革をしていったのだろうか。

京都府舞鶴市竹屋20 医療法人社団 光歯会 森歯科クリニック
森 昭先生
開業当初は、“俺様の技術をご披露する場“だった
森歯科クリニックの理念は「いつまでも笑顔に自信を」。
その言葉の通り、スタッフにも患者にも笑顔があふれる明るい医院だ。
しかし開業当初は、現在とはかなり違っていたという。
森先生は、こう振り返る。
「当時は、“俺様の技術をご披露する場”でしたね」
開業の理念は、「地元で最先端医療を」。当時は舞鶴エリアでインプラントなどの先端治療を行っている医院は少なく、大阪や京都の中心地で腕を磨いた森先生ならではの強みを前面に出していた。
技術は確かだった一方、マネジメントは二の次でスタッフに感情的に接していたという。
営業電話を取り次いだ事務スタッフを叱責する、意図にそぐわない器具を渡してきたスタッフに舌打ちをするなど、院内はピリピリした空気だった。
先生は当時の自分を「毛穴からミサイルが出ていた」と表現するほどだ。
スタッフは森先生の顔色を伺い指示待ちになり、指示を出し続ける森先生は疲弊して余裕がなくなりさらに感情的になる。こんな悪循環に陥っていた。
床上浸水による閉院の危機がターニングポイントに

医院経営の転機になったのは、2004年10月に発生した台風23号だ。
医院が床上浸水し、継続が危ぶまれたことがある。
その日は偶然にも、医院の慰安旅行でシンガポールに向かう日だった。
「うきうきした気持ちで空港まで行きましたが、医院が危険な状態だと聞いて私だけタクシーでとんぼ返りしました」
そのときは、「天国から地獄に落とされた」と絶望的な気持ちになったが、今では「神様からのプレゼントだった」と確信している。どういうことだろうか。
「閉院の可能性が現実的になったとき、もっと楽しくやりたかったと後悔の気持ちが湧き上がってきました。心機一転、スタッフと一緒に建て直していこうと決意したのです」
森先生がまず着手したのは、自分を変えること。「スタッフマネジメントは自分改革」との考えからだ。
感情的になるのを抑え、意識して笑顔を作る。
先生の急変ぶりにスタッフは戸惑ったというが、3ヶ月くらい経過した頃から、先生が本気で変わろうとしている姿勢が伝わっていった。「出来が悪い人間ががんばっているプロセスを見て、スタッフも何かを感じ取ってくれたのかもしれません」と振り返る。
現在も感情をコントロールし笑顔でいることを継続し、「この人のために頑張ろう、この人の言うことなら聞いてみよう、と思ってもらえる自分になることが理想です。まだそこまで到達できていないですけどね」と話す。
先生自身の意識改革と並行して、スタッフの意識改革も進めていった。感銘を受けたビジネス書の著者に院内で講演をしてもらったり、理想的な運営をしている医院を見学するために東北や九州まで赴いたりした。
医院の理念を「地元で最先端医療を」から「いつまでも笑顔に自信を」に変更したのもこの頃だ。

医院改革の第一歩
- マネジメントは自分改革。まずは院長が感情をコントロールし笑顔を絶やさない
- 他院の見学やビジネス書著者の講演などを通じ、スタッフと共に外部の価値観を学んで医院運営に取り入れる
17時最終受付でも医院経営は順調
医院の方向性が明確になると、スタッフも自主的に動くようになる。
「医療職に就く人は、もともと奉仕の精神が強いです。スタッフが本来持っている優しさを前面に出せる環境を整えたら、患者さんのために自発的に動くようになりました」
たとえば居酒屋勤務の経験があるスタッフは、夏の暑い日に冷たいおしぼりを用意して患者に提供し、非常に喜ばれたという。森先生はさらに、スタッフが長く勤務できる体制を整える。最終受付を17時、終業を17時30分にしたのだ。
この体制にした時期は、転機となった2004年の洪水被害の直後。働き方改革という言葉すらなかった時代だ。
「当時はスタッフのほとんどが独身でしたが、将来的に結婚・出産をしたら退職してしまうと危機感を覚えました。現在、産後の復職率は100%で、子供が3人いるスタッフも複数人います。勤続20年超のスタッフは5人、10年超のスタッフにいたっては、多くて把握していないくらいです。医院経営は、スタッフがいないと成り立たちません。時代に先駆けて働きやすさや昇給などのキャリアパスを構築にしたことが、功を奏しています」
診療時間の短縮に伴う患者の減少とは、どう折り合いをつけたのだろうか。
「確かに通えなくなった患者さんはいらっしゃいましたが、働きやすくなったことでスタッフはさらに真剣に仕事に取り組むようになり、患者さんの満足度は上がりました。リコール率は80%以上になり、診療時間を短縮しても数値面でマイナスになっていません」
また、メンテナンスを定着させるため、スタッフは患者に予防の重要性を1年間に7回は伝えているという。
多方面から、患者が通い続けたくなる環境を作っているのだ。

働き方改革
- 最終受付を17時に
- 産後に復職・継続しやすい労働環境を整備
見学者の100%が入職。採用活動もスタッフに任せる
森先生は何でもスタッフに任せるため、“任せるオバケ”と呼ばれている。
SNS運用について聞いてみたが、「SNSプロジェクトが主導しているようです」と、全面的に任せていた。先生は関与していないものの、SNS投稿を見て入職したスタッフもおり、運用は成功しているといえるだろう。
また、求職者の見学もCOOの30代女性に任せている。
見学時に教育や労務について詳しく説明し、見学から面接に進み入職する率は100%だという。
「もし私が見学のアテンドをしたら、院内を一周して『よかったらまた連絡ください』で終わらせてしまうと思います。SNSも苦手ですし、自分が主導権を握っていたら絶対にありえなかったことが次々と起きています」
スタッフは自主的に動き、患者からの信頼も厚い。
「歯科衛生士は担当制ということもあり、特に高齢の患者さんから頼りにされています。私が治療を提案しても、『衛生士の○○さんに聞いてみる』と言われるくらいです」と話してくれた。
オパルコンフォートで、高齢者の生きるモチベーションを支える
高齢患者は年々増えており、対応するために2016年にオパルコンフォートを導入した。
開業前に20以上の医院に勤務しさまざまなユニットを使用する中で、OSADAが機械的な安定性が最も優れていると実感し、開業時からスマイリーNを導入している。高齢患者向けユニットを決めるときも、OSADA一択だったという。
「動作スピードがゆっくりだったり、鉢が患者さんの目の前まで移動したりと、高齢の患者さんに優しい設計になっていると思います。掴まるところもあり車椅子からの移乗もしやすく、安全面の配慮が行き届いていて安心感があります」
足元がおぼつかない患者には訪問歯科を勧めることもあるが、「月に1回、ここに来るのが生きるモチベーションになっているから」と、通い続ける患者も多いという。
義歯の調整や口腔機能の訓練だけでなく、担当の歯科衛生士との会話も楽しみにしているそうだ。
担当歯科衛生士は目線や歩く速度を高齢患者に合わせ、徹底的に寄り添う。こうしたソフト面とオパルコンフォートのようなハード面の両方で、高齢患者の人生を支えているといえるだろう。
最後に、人口減少と高齢化が進む中で選ばれる医院であり続ける秘訣を聞いた。
「若いスタッフを経営に巻き込むことです。若い人が主導すれば、若い人の感覚で仕組みが作れ、時代の変化に強い組織になります。当院はこれを実践したことで医院全体に活気が出て、自発的に患者さんの健康に伴走するのが当たり前の医院になりました。トップダウンだった頃に比べると、はるかに楽をさせてもらっているうえに医院が上手く回っています」

「任せる」ことが医院運営の鍵
- 医療職従事者はもともと奉仕の精神が強い。本来持っている優しさを発揮できる環境を作れば、自発的に患者のために動くようになる
- 若手を経営に巻き込むことで、時代の変化に強い組織になる
- 採用活動も若手に任せることで、若い感覚を持った人材が入職してくる