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「治す」から「育てる」へ。-口腔機能発達不全症に取り組み、健康な口腔の基礎を築く

  
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「治す」から「育てる」へ。-口腔機能発達不全症に取り組み、健康な口腔の基...

日本歯科大学附属病院小児歯科

白瀬敏臣先生

 平成30年に疾患名が設定された口腔機能発達不全症だが、開業医や患者にはまだあまり浸透していないのではないだろうか。小児のう蝕は減少傾向にあるものの、口腔機能の面から歯科医師が支援できることは数多くある。

今回は、日本歯科大学附属病院小児歯科で口腔機能発達不全症の治療に取り組む白瀬敏臣先生にお話をうかがった。開業医では治療が困難な小児患者を診てきた白瀬先生の経験は、口腔機能発達不全症のみならず、小児歯科に関わるすべての歯科医師にとって学びとなるはずだ。

脳の特性を利用したコミュニケーションから、口腔機能の発達支援に繋げる

 白瀬先生が小児歯科を選んだ理由は、口を「治す」だけでなく「育てる」ことができるからだという。

「小さなうちから口腔に関わって環境を整えてあげることでその子の人生に大きく寄与できるのが、小児歯科の醍醐味です」

 小児歯科では障害児や発達障害の疑いのある対応困難な子どもを診る機会も多いことから、障害者歯科についても学んだ。その中で得た知見は、書籍『かかりつけ歯科医院のためのADHD/発達障害入門』にまとめられている。

 障害者歯科と小児歯科には共通する部分が多々あるという。

どちらにも治療の拒否が見られるが、その理由は「予測ができなくて怖いから」だと白瀬先生は考える。

だから治療を始める前に不安や緊張を取り除き、どんな人がどんなことをやるのかを患者に理解してもらうことを重視している。

 白瀬先生は「脳の情報の整理の仕方をうまく利用して、口腔機能の発達の支援に繋げていくのが、私の臨床のスタイルです」と話す。

視覚、聴覚、触覚など、外部から入力される情報はその一つ一つでは意味を持たない。複数の感覚情報が同時に脳に入力され統合することで初めて意味を持つようになるのである。今いる場所や目の前にいる人は信頼できると記憶されることで、安心して治療を受け入れるようになるのだという。

 治療の導入の一環で使用しているのが、4枚の絵カードだ。歯科に来院してユニットに座り治療を受けて帰るまでが、シンプルなイラストで描かれている。

「4コマ漫画の起承転結のように時系列の流れの中で、ここで何をして最後は帰れることがわかります。予測できれば、子供も安心して受け入れてくれます」

 ときにはデンタルミラーを子どもに手渡し、自由にさわってもらうこともある。

「デンタルミラーは歯科医師にとってはありふれた器具ですが、子どもにとっては未知のものです。いきなり口の中に入れられたら、怖がって拒否反応を示すのも無理はありません。だからまずは手に取ってもらい、金属の硬さや冷たさ、ミラーの輝きなどを確認してもらいます」

 実は先述した4枚の絵カードの中には、デンタルミラーを使用しているイラストが含まれている。それを子どもに手渡すと、自分が手にしているものとイラスト内のものが同じだと認識し、治療で必要な器具だと理解できるという。

▲絵カード。
出典:東京都保健医療局東京都多摩府中保健所:歯科受診「絵カード」

 このようなモノを介した二者のコミュニケーションを三項関係と呼ぶが、親子の間ではごく当たり前に行われている。たとえば子どもが「あれはなに?」とリンゴを指さし、親が「リンゴだよ」と答えて、子どもは「リンゴ」という言葉を覚えていく。

 「共通のモノを介してコミュニケーションを取るのが、発達の中のひとつのステップです。でも歯科の教育の中では、メンタルを含めた発達へのアプローチが手薄だと感じています。でもそんな難しいことではなくて、保護者の方が当たり前にやっていることを医療者が代用してやってあげればいいのではないでしょうか」

 たとえば泣いている子どもも、保護者に抱かれているうちに安心して泣き止む。これはつまり、やさしく包み込む触覚を通じた情報が、子どもたちに安心感を与えることを意味している。

これを応用し、白瀬先生は治療前に子どもの頬を手で包み込み、優しく圧迫し、脱感作を行う。

「頬に触れた手で口の中を触るというのは、歯学教育的にはナンセンスです。でもこうすることで医療者でも保護者と同じような安心感を与えられ、治療に入りやすくなります」

さらに頬に触れながら、目も合わせていく。

「ほかの診療科と比較すると、歯科は患者と医療者の距離が非常に近いです。それを活かして、しっかり目を見ながらアイコンタクトをとるようにしています」

 こうすることで視覚と触覚の情報が脳で統合されて子どもの頭の中で「これは安心な状況だ」と記憶される。

そのときに「○○ちゃん、お口を開けてください」と声をかければ、さらに聴覚的な情報もそこにリンクされ、更に統合されていく。
様々な情報が患者の脳内で整理され、自分を守ってもらえる存在と子どもに理解されるように誘導していくと、安心してくれ治療がスムーズに進めることができるのだ。

▲小児患者の頬を掌で包み込み優しく圧迫することで脱感作を行っている。

「従来の治療+口腔機能発達支援」で、適切な発育を促す

 う蝕数は、この30年で大幅に減少している。

平成5年における5歳児の乳歯の一人平均DMF歯数は6.2本だが、令和4年は0.7本まで減っている。う蝕有病率も77%から18%にまで低下した。

同様の傾向は永久歯でも見られる。

 このような状況下で平成30年に設定された疾患名が、口腔機能発達不全症だ。先天的疾患などがない健常児が、食べる・話す・呼吸をするなどの機能が充分に発達せずにつまづいてしまった状態を指している。

 「口腔機能発達不全症という疾患名が設定されたことで、保険診療で歯だけでなく口腔の使い方まで診られるように進歩した内容だと思います。口腔機能発達不全症は、小児の15%程度が該当すると想定されています。口腔機能の発達の遅れがう蝕や不正咬合の原因になっている可能性も少なくないのではないでしょう。う蝕や歯肉炎など従来通りのスクリーニングに加え、口腔機能にも着目する必要があると思います」

 こう話す白瀬先生は、1回の診察の中で、主訴の治療、口腔衛生指導、口腔機能のサポートの3点をバランスよく行うようにしている。

こうすることで、治療が終了した時点で口腔内が正常な状態に立ち上がり、そこから適切に発育を促せるようになるというのだ。

 まさに白瀬先生が目指す、治すより「育てる」を重視する歯科医療を体現しているといえるだろう。

 より治療の質を上げるため、白瀬先生が重視しているのが記録だ。口腔内写真だけでは周辺の軟組織の情報はわからないため、安静時の口唇閉鎖の状況や舌の可動域、ときには口蓋扁桃の記録も残す。

変化を追い、患者が日々変わっていくのが面白味であり、やりがいだという。

 実は白瀬先生には、忘れられない小児患者がいる。

20年以上前の、口腔機能発達不全症という疾患名がなかった時代のことだ。当時3歳の子どもが歯の外傷により歯が変色したため白瀬先生の元を訪れた。

 診察すると前歯の変色だけでなく、開咬で指しゃぶりの習癖もあったという。

しかし、治療が終わった2ヶ月後には嚙み合わせが改善して指しゃぶりもなくなっていたのだ。

何があったのだろうか。

 「横で治療を見ていたお母さんが、家で“歯医者さんごっこ”をしてくれたそうです。何をしたのか聞いてみると、寝た状態で口の中に水をためる訓練でした。私が指導したわけではないのですが、水平位で注水して治療を受けている子どもの様子を見て、呼吸が苦しそうだと感じたそうです。呼吸がコントロールできれば必ず噛み合わせが治るわけではないですが、状況が良い方向に変わる可能性は充分にあります。口の使い方が大切だと患者さんに気づかされたことが、今、口腔機能発達不全症に注力する原点になっています」

モットーは「楽しく能動的に」

 開業医からの紹介で日本歯科大学附属病院に来る小児患者には、主に2つのケースがある。1つは埋伏過剰歯の摘出など治療の難易度が高いケース。もう1つは治療の協力が得られず治療ができないケースだ。

 後者の場合は、白瀬先生も「私もすぐに治療ができるわけではない」と話す。

前述した不安や緊張を取り除くアプローチにしっかり時間をかけて、長期的な目線で治療を進めていく。

 「たとえばC1のう蝕を見つけたら、その歯がいつ生えてどのような経緯でう蝕になったのかを考え、原因を取り除くようにします。当然、早く治療したほうが好ましいのですが、急ぐあまり治療ができなくなってしまっては本末転倒です。複数回会って『この人なら大丈夫』と子どもが思ってくれるまで待つようにしています」

 白瀬先生の支援のモットーは「楽しく能動的に」だ。

「相手は子どもですから、楽しくないことには興味を示しません。いかに楽しく、能動的に口腔のトレーニングを行うかが重要で、心地よければもっとやりたいという正のスパイラルが生まれます。嫌な思いをすれば逆のことが起こり、口を触らせてもらえない、歯磨きを拒否するというような負のスパイラルに陥ってしまいます」

 楽しく支援するため口唇閉鎖力を測定するときには数値を年齢にたとえて「いくつ出るかな」と声をかけたり、お風呂でぶくぶくうがいの練習をすることを提案したりと、楽しみながら口腔機能の発達を促す工夫をしている。

 口腔機能発達不全症の歴史はまだ浅い。

「口腔機能発達不全症を主訴として来院する方はいません。従来通りの主訴に応じた治療に加えて、歯科医師が患者さんの口腔の特徴に合わせた機能の発達を支援していくことが必要ではないでしょうか。それが健康な口腔を育てることにつながり、その子の人生に大きなプラスになると思います」

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